友人や子ども、御主人の石を買っていこうとする人々の石の選び方を見ていると、大きく分けると2通りがあります。
まず、Aさんは、いつも元気でありますように。
事故にあいませんように。
病気が治りますように…!
Bさんは給料が上がりますように。
素直になりますように。
浮気をしませんように…!
上記の2つの例には大きな違いがある事に気が付きました。
まず、Aさんは、愛情のアウトプット。
Bさんは、自分への思い、インプット!
さて、この石をもらった人はどちらが元気になるでしょう?
「千人針」という言葉を聞いた事がありますか?
これは日中戦争開始とともに、全国的に広まったもので出兵兵士が無事に帰還できることを祈り、
布に一針一針!!!大勢の人の思いをこめて作り上げたものです。
戦場でこの布を手にした兵士は、この布に込められた思いを、しっかりと、受け止めていたことでしょう。
千羽鶴もこれに似ています。
これらは、合力祈願と呼ばれています。
多数の人々の祈願によって目的を達成させると言う考え方の合力祈願ですが、
考えてみれば、昔はほかにもたくさんあったのではないでしょうか?
奈良の大仏もまさしく、合力祈願そのものでしょう。
神社の祈願も、一次産業が主であった昔は、豊作、大漁等の祈りを多くの人々で行い、
その結果に喜び、また明日への大きな力となったに違いありません。
祈りは多くの人の心を一つにすることに大きな役割があったと思います。
少し話はずれましたが、現代二次産業、三次産業が主となったことにより、祈り、願いの目的は私利私欲と変わりつつあると思われます。
その結果として、孤独感が生まれ、様々な弊害的現象が現れて来ているのではないでしょうか?